戦争の為、中断されていた全国中等学校野球大会は青少年スポーツを通しての日本再建を願い、あらゆる困難を克服して開催される運びとなった。進駐軍の関係で球場は西之宮に移されたが、開会式では海草中学校畔取主将から歴史と光栄に輝く大優勝旗が返還され、ここに6年振りに復活大会は開幕された。

<県予選>

和歌山中校庭は戦時下軍隊駐留の為、甚だしく荒されたため球場を和歌山商、海草中に移して開催したが、戦時中の空白の為、技倆の低下著しく得点差も大きく開いて好試合は見られなかった。食料難、用具難に苦しむ世相の下では之も是非もない。

<準決勝>

海草中は和中投手に牛耳られ4,5回安打で走者を出したが、後続振るわず8回二死後、山羽三塁を抜き垣内右翼線二塁打して初めて好機を迎えたが原三振に止み、僅か4安打で反撃できなかった。
之に反し和歌山中は4回四球と2安打で2点、6,7回四球、盗塁、失策を織りまぜて1点、2点と得点を重ね8回には4安打を集中して大量得点を入れ和歌山中の大勝に帰した。選球眼を欠いた海草中打力の不振が敗因。

<紀和決勝>

天理中は試合巧者の和歌山中・和中投手に阻まれて3回まで得点のチャンスなく、之に反して和歌山中は2回裏、加納・田原の安打に続く犠打、敵失で2点先取り、更に3回藪中四球に続く3安打を集中して2点を加え一方的ゲームと思わせたが、4回表、天理中は和歌山中の連続失策に俄然反撃の火蓋を切り2点を返し、その裏和歌山中は2点を追加すれば5回表、天理中1点をかせぎ決勝戦にふさわしい白熱戦となった。しかしこの裏和歌山中・田原に始まった攻撃は鋭く敵陣を切り崩して一挙5点を獲得、試合を決定的なものにした。斯くして和歌山中は昭和7年以来、実に15年振りに甲子園出場することとなった。

全国大会

<2回戦>

好試合が期待されたが、和歌山中の打棒は左腕速球の平古場に全く抑えられ三振16を喫し、僅に最終回2点を恢復せるのみ、浪華商は初回よりよく打ち前半小刻に得点を重ね全く一方的なゲームに終った。安打2、三振16を喫し毎回三者凡退に終ったのは左投手に対する打法に一工夫がなさすぎた。