橋爪四郎

 戦後日本水泳復興の功労者は何と言っても古橋・橋爪コンビの活躍が先ず第一に挙げられる。戦後間もない後輩のドン底の日本に於いて、日米対抗水泳その他水泳競技会で次から次へと泳ぐ毎に世界新記録を樹立して日本国民に自信と誇りを与え活力とやる気を起こさせた原動力はこれであり、古橋・橋爪は当時の正に英雄であった。とは申せ橋爪選手は稍もすれば古橋選手の蔭にかくれ地味で脇役的存在であったとはいえ、やっぱりスーパースターであったことは間違いなかった。

 古橋と橋爪選手は日本大学水泳部の同期生で毎日の練習から日常生活まで、いつもパートナーであり良きライバルとして切磋琢磨する仲で技を競っていた。この切磋琢磨こそが世界記録を生み記録更新に連なった。橋爪あっての古橋であり、古橋あっての橋爪でもあった。

 古橋選手は豪快、ダイナミック、蒸気機関車の様な力強い水泳であるのに対し、橋爪選手は、スムーズで美しくスマート、典型的な6ビートオーソドックス泳法で流れる様な泳ぎであった。古橋選手の剛に対し、橋爪選手の柔と対照的な競り合いに水泳ファンを魅了した。

橋爪選手の栄光に満ちた活躍ぶりを顧みることにしよう。 

昭和3年9月20日

 

現在の和歌山市吉礼957番地に生まれる。

 

昭和19年

 

県立海草中学校(現向陽高校)入学

 

昭和23年

 

全日本選手権大会(東京)で1500自由形(18.31.8)で世界新記録を樹立

 

朝日賞 文部大臣賞受賞

 

昭和24年

 

全米選手権(ロサンゼルス)

  1500m自 18.32.6(世界新)
  1000m自 12.14.8(世界新)
  400mリレー 4.43.9(世界新)

朝日スポーツ賞 毎日スポーツ賞

 

昭和25年

 

南米遠征(サンポーロ)

800リレー(浜口、村山、橋爪、古橋)日米対抗日本代表 8.40.6(日新)

昭和26年

 

日本大学法学部を卒業

其の間日大水泳部員として古橋選手等と共に良き多くのライバルに恵まれ練習に励んだ。

昭和27年

 

全日本選手権

400m自 4.40.2 優勝
1500m自 18.31.4 優勝

15回オリンピック(ヘルシンキ)

1500自 銀メダル 18.41.4

アサヒスポーツ賞

 

昭和28年

 

全比選手権(マニラ) 日本代表

 

昭和37年

 

全米選手権日本代表監督(米オハイオ)

 

昭和39年

 

18回オリンピック(メルボルン) 日本代表監督コーチ

以後現在選手を退いたが水泳指導者として後輩の指導に専念する。

日本水泳連盟厚労省

 

昭和42年

 

㈱横浜スイミングセンター代表

 

昭和50年

 

㈱橋爪スイミングスクール創立 代表取締役

 

昭和51年

 

㈱橋爪スイミングスクール港南台創立

現在も尚港南台オーナーとして活躍中
日本水泳連盟強化委員、神奈川県水連副会長、日本水泳連盟財務委員、日本水泳連盟顧問、横浜スポーツ指導振興審議会委員、横浜市教育委員

平成2年

 

紫綬褒章受章

 

平成4年

 

国際水泳連盟殿堂入り(マイアミ)

 

平成9年

 

日本赤十字銀色色功賞受賞

 

 橋爪選手のすばらしい活躍に対する功労と栄光に対し敬意を表すると共に今後尚益々の活躍を祈ること切なるものがある。

(紀州・和歌山水泳史誌 P200~ 池田岩夫著)